日々の出来事をうつらうつらと
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ちわっ!おら太郎坊ノシ
連休が出来たので、今回は以前から訪れたいと思っていた、福井県は越前の一乗谷を目指したんよ。 バン子に荷物を積み込んで、7時30分、家を出発。 毎度お馴染み周山街道で琵琶湖の北へ抜け、敦賀の手前でちょっと早い昼飯TIME. 27号から8号で敦賀を抜けたところで休憩。 春の海か。潮風が気持ちいいね。 敦賀・若狭湾 いいペースやな~と8号で海岸を北上してると、工事中で片側通行の足止め。 ちょっと一息やな、とバン子を止め待つ。 5分、10分、15分www おいおい、何分またせんだよ!と怒りがぐつぐつ煮えたぎり待つこと20数分。 やっと車列が動き出しました。 海岸線から県道207号で山の中へ。 この県道207は今回走った中では一番楽しかったな~。 もともとは旧北陸線が走ってた道でね。ところどころにその名残を残しており、 列車が走ってたトンネル内なんてあなた、雰囲気満点でしたぜ。 ここは鉄っちゃんの要素を内包するライダーなら絶対に走ってほしい道ですね。 県道207から365号~476号と繋ぐ。 くねくね快走路の476号から県道2号で158号へ。午後2時、一乗谷は朝倉氏遺跡到着。 一乗谷ってなんじゃらほい?ってかたもいると思うので、簡単に説明。 時は永禄ほにゃらら年。織田信長の時代ね。 信長と敵対してた越前の雄、朝倉義影が当時、本拠地にしてたのがここ、一乗谷と呼ばれる 城下町やったんよ。周りをぐるりと山に囲まれた谷には、小京都と呼ばれた町並みが広がっててねぇ。 武よりは政治・文化に関心の高かった朝倉氏らしく、京都の文化をふんだんに取り入れており、 信長によって、壊滅されるまではそうとうな栄華を誇ってたんですよぅ。 結局、最後は信長の侵攻を許し、町全体が焼き払われ、小京都とまで呼ばれた町並みは 一夜にして塵と消えたってわけ。。。。 ここは当時焼き払われて400年以上眠ってた一乗谷の遺跡なんですよ。町並みなんかも復元されてて、 歴史FANなら必見の場所なんです、はい。 ちょっと小腹も空いていたので、飯を食う。 感想は、なんだかねぇ、、、、信長苛烈すぎね?って感じかな。 そこまでせんでも、みたいなね。 一乗谷見学の後は、今宵の宿、緑と自然の村太陽広場を目指します。 ここで、俺はまちがえて20キロくらい離れた福井市方面に行ってしまい大幅な時間ロス。 なんやかんやで、午後5時、キャンプ場到着。 今回の宿、太陽広場は料金¥100、風呂に入るなら追加で¥250と非常にリーズナブルな 旅人の懐にやさしいキャンプ場なのですよ。 受付のおばひゃんも優しくて、是非お勧めです! えっさほいさと今年初のテント設営後、ひとっ風呂あびてから、 武生市街まで出て、王将で王将ランチ。 コンビニでおやつを買い、本屋で夜の暇つぶし用に雑誌を買い、テントに戻ると時間はもう7時過ぎ。 テント内でだらだら過ごし、午後9時前には眠りについたZZZZZZZ あ、ちなみに利用客は俺一人www怖いんすけど。 夜中の12時に、近くの峠にドリフト練習しに来てる馬鹿に目を覚まされたけど、それ以外は極めて快眠。 テントを叩く雨音で午前5時、起床。 雨か。 まぁ分かってた事だし、しゃぁないか~。 速攻で撤収し作業完了! キャンプ場 屋根があって助かります 合羽を着込んで、ふりしきる雨の中帰路に着く。 帰路は8号~27~162と繋ぐ。 小浜のコンビニで。 雨と風との格闘でだいぶんやられてますw 昼の12時前には帰宅。 二日目の天気はいや~んでしたが、やっぱバンバンとの旅路は止められませんYO! PR ![]() ![]() |
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